その102 「ビヤガーデン」

ある夏、阪急百貨店の屋上に上ったら

屋上遊園地の乗り物は取り払われて

テーブルがいっぱい並んでいた。

 

上を見ると提灯がずらずらとヒモにぶら下がって

『屋上ビヤガーデン』という文字が揺れている。

 

長い線路の上を走る汽車などもあったのに

いったいどこへ消えてしまったのだろう。

 

執拗に探し回ると片隅にシートを掛けた一画があって

ぎゅうぎゅう紐で縛ってあるので定かではないが お

そらくこれがそうであろうという物体が並んでいた。

 

お歳暮の時期には屋上遊園地は寒くて遊べないので

お中元の時期だけが頼りだったのにと、

かいちゃんは悄然とうつむいた。

 

母がぼつりと「6月中に来たら良かったねえ」と言ったが

ビヤガーデンが何なのか分からない かいちゃんは

永久に屋上遊園地は閉鎖されたのだと思った。


その101 「屋上遊園地」

百貨店の屋上には小さな遊園地があった。

 

十円を入れると動く乗り物もあったが

その場でカタカタと揺れるだけなので

そんなのは ”こどもだましだ” と思っていた。

 

四角い箱の上部に覗き窓が付いているものがあって

お金を入れると幻燈のように 中の絵が動くのが見える。

かいちゃんはこれが好きだった。

 

箱の上のほうが斜めになっていて

そこに双眼鏡のような黒い覗き口が付いているのだが

背の低い子用に踏み台が置いてある。

 

ちっちゃい かいちゃんは踏み台に乗っても足りなくて

一生懸命 背伸びをして覗いた。

 

時間が来るとカチャンとお金の落ちるような音がして

覗き窓が真っ暗になる。

続きを見たければ更に十円を追加しなければならない。

 

カチャンという音で ふいにお話が途切れるのは

あまりにも意地悪だと憤慨しながら

ベンチで待っている母のところに十円を貰いに走るのだ。


その100 「阪急百貨店」

百貨店に連れて行ってもらうのは

お中元とお歳暮のシーズンだったと思う。

 

電車にもどこにも冷房など無かったし

百貨店も人がいっぱいだったが

どこからかふわりと風が吹いてきた。

 

母の指さすほうを見ると

天井に扇風機の羽根のようなものが付いている。

ちっちゃい かいちゃんにとって天井は果てしなく高く

そんなに遠いのに羽根はとても大きく見えた。

 

阪急百貨店のインテリアはすべて茶色っぽく

大きな羽根は優雅にゆっくり回っていた。

 

エレベーターの階数表示は時計のようで

先端がスペード形をした大きな針が

1、2、3、4と動いてゆく。

 

エレベーターの中にはおしゃれな制服を着た

きれいなおねえさんが乗っていて

百貨店は外国のようだと かいちゃんは思っていた。


その99 「大食堂」

梅田の阪急百貨店の最上階には大食堂があった。

 

かいちゃんはお子様ランチを一度だけ食べたことがある。

 

「高いばっかりで おいしないで」と母が反対したのだが

お子様である かいちゃんにとっては いかにも魅力的に見えた。

 

目の前に来てみるとエビフライは衣ばかりだし

ウインナーは家で食べるのと変わらない。

プリン形のケチャップライスに立っている旗は

爪楊枝に紙を貼り付けただけのものであった。

 

それでも満足だったのは おまけが付いていたからで

糸を引くと丸いプロペラが飛ぶようになっている

ヘリコプターと呼ばれるおもちゃであった。

 

しかし 冷静になって考えてみると

ヘリコプターは駄菓子屋さんでも売っている。

母が渋い顔をしているのは お子様ランチが

内容に比して高額だからであろう。

 

それ以来 かいちゃんは大食堂では

安い”ざるそば” ただし ”ソフトクリーム” 付き を

注文することに決めた。


その98 「干しエビ」

夏の日曜日の昼食はたいてい そうめんで

母はそうめんつゆのダシを干しエビでとっていた。

 

作るところは見ていないのだが

アルマイトの片手鍋に透きとおったつゆが

氷といっしょにちゃぷちゃぷと入っていた。

 

アルマイトの鍋は使いこまれて

あちこちべこべこ へこんでいて、

持ち手の一部は少し溶けたように焦げていた。

 

薄口醤油を使っているので つゆの色は飴色で

底に干しエビがころころ沈んでいるのが見える。

 

人数分のガラスの容器に つゆを分けるとき

干しエビも一緒に入れてもらう。

姉がいると取り合いになるので

均等に母が分けてくれる。

 

かいちゃんは本当は蕎麦のほうが好きだったが

そうめんに文句を言わなかったのは

この干しエビが食べたかったからに他ならない。


その97 「正露丸」

祖父は歯が痛いとき正露丸を詰めていた。

 

虫歯でへこんだ奥歯のくぼみに詰めていたのだと思う。

 

お腹が痛い時に飲む薬だと思っていたので

初めて聞いたときにはひどく驚いた。

 

正露丸は茶色いガラスびんに入った丸い粒だが

ふたを開けただけで部屋中に匂いが広がって

かいちゃんは鼻をつまんで逃げた。

 

その匂いの素を歯に詰めているのだから

祖父の歯が痛いあいだはそばに近寄れなかった。

 

大阪万博の翌年に亡くなった祖父の声を

どうしても思い出せないのだが

「おじいちゃん」という言葉を聞くと

仁丹と正露丸の匂いを思い出す。


その96 「仁丹」

おじいちゃんは仁丹の匂いがしていた。

 

うちの祖父だけでなく 高齢の男の人に近づくと

たいてい仁丹の匂いが ぷんと漂ってきた。

 

小さな透明のガラスびんに入っていたような気もするが

小さなマッチ箱のようなものだったかもしれない。

 

仁丹の匂いはさわやかで すーっとするのだが

口に入れると舌がしびれたようになって

噛み砕こうものなら苦くて はあはあする。

 

粒は小さく丸い銀色で 薬のように水で飲むわけでもなく

お菓子なのか薬なのか判らない。

 

祖父は容器から手のひらに振り出して

一日に何度か 口に放り込んでいたが

緑内障のため ほとんど目が見えないので

落としてしまうと かいちゃんを呼んで探させる。

 

拾ってあげると「食べ」と言う。

 

噛むと苦いが 味はけっこう好きだったので

ちょっと口の中で転がして ごくんと飲み込むことにしていた。



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