その65 「洲本オリオン」

母にはもう一人『やえちゃん』と呼ばれる、

天真爛漫というか豪快奔放な、年の離れた妹がいた。

 

母の親きょうだいはみんな淡路島に住んでいたので

かいちゃんは幼稚園の頃からひとりで淡路島に泊まりに行っていた。

 

20才くらいだった やえちゃんがその日は遊んでくれていて、

「オリオンにつれて行ってあげよう」と言った。

 

オリオンというのは本町(ほんちょう)にある映画館で

入れ替え制ではないので中に入るとちょうど最後のあたりだった。

 

高い絶壁の上から青い海に男の人が果敢に飛び込み、

みごとに成功して、男の人は恋人とキスをする。

『南太平洋』という映画なのであった。

 

碧い海がものすごくきれいで、かいちゃんは感動した。

まんがではない映画を観たのもこれが初めてであった。

 

大満足で帰った二人であったが

「幼稚園児におとなの映画を観せるなんて!」と

やえちゃんは他のおとなたちにひどく叱られた。


その64 「ネスカフェ」

家ではコーヒーを飲むことを禁止されていた。

もちろん豆のコーヒーではなくインスタントの粉である。

こどもには毒だ、という理由であった。

 

もともと「あんな苦いもののどこが美味しいんだ」と

こっそり味見をしたことのある かいちゃんは思っていた。

 

叔母の家にひとりで泊まったとき、

朝はトーストとハムエッグとコーヒーだった。

 

叔母は”コーヒー”と言わず『ネスカフェ』と言っていた。

砂糖と牛乳をいっぱい入れると

『ネスカフェ』は甘い子供の飲み物になった。

 

食パンの耳はパサパサして嫌いだったが、

『ネスカフェ』に浸して食べると美味しいことも知った。

 

叔母の旦那さんは外国航路の船員さんなので

外国のような朝食なのだなと

かいちゃんは洋風の生活に憧れを抱いた。


その63 「ポップアップ」

トースト好きの叔母は

次にポップアップトースターを買った。

 

入れるときは手動式のものと同じだが、

焼きあがると自動的にポン!と飛び出すのだ。

 

これだと出し忘れてまっ黒こげになってしまう心配はない。

今度こそ本当に素敵で便利なものだと思ったが、

不思議なのは、いったいどうやってこの機械が

パンが焼けたことを知るのだろう、ということだった。

 

それと、このポップアップにも欠点はあって、

トーストが焼きあがって出てくる時に

たまに勢いあまって外へ飛び出してしまうのだ。

 

欠点というより欠陥だったのかもしれないが、

まるでポパイのホウレン草のようだ、と

かいちゃんはトーストが飛び出すのを期待して見ていた。


その62 「トースター」

家で食パンをトーストするときは

ガスコンロに餅焼き網を乗せて焼いていた。

 

格子状の焼き目がついて

香ばしいというより焦げくさかったが、

まあそんなものだと思っていた。

 

叔母の家に泊まりに行った日の朝、

たぶん生まれて初めてトースターを見た。

 

四角い箱の上部に食パンが二枚入る口があって、

そのままだと半分しか入らないのだが

横のレバーを下げるとパンがすっぽり隠れてしまう。

 

いい匂いがしてくるのを待ってレバーを上げると

きれいなキツネ色になった食パンが現れる。

 

なんと素敵で便利なものだ!と

かいちゃんは感動したのだが、

出し忘れると真っ黒こげになってしまうという

悲しい欠点があることにも気付いた。


その61 「ハイラズ」

台所にはいつも”ふかし芋”が置いてあった。

 

ちょっと小腹がすいたときに食べる用で、

細くて小さい芋をふかして塩をふってあった。

 

ふきんが掛けてあることもあったが、

傘のように開いてかぶせる網のようなものもあった。

母は蠅帳(はいちょう)と呼んでいた。

 

隣の家の赤ちゃんが昼寝をするときにも

これの大きなのが被せてあり、

「ふかし芋も赤ちゃんも一緒だな」と

かいちゃんは思った。

 

祖父母の部屋には網戸の付いた箱があって、

これもちょっと食べ物を入れておくものだったが、

蠅入らず(ハエイラズ)が縮んで『ハイラズ』と呼ばれていた。

 

食べ物を入れるのに ”入らず”とは妙な名前だと

かいちゃんは少し不思議だった。


その60 「水屋(みずや)」

食器棚のことを母は「水屋」と呼んでいた。

 

姉が二人いたせいか

かいちゃんはあまりお手伝いをしなかった。

食器を出したり片づけたりもしなかったので

水屋に関する記憶も食器に関する記憶も曖昧である。

 

ひとつだけ はっきり憶えているのは

水屋の一番下に粉ジュースが入れてあったことだ。

 

白っぽい缶にみかんの絵が描いてあったと思う。

蓋を開けると中に透明な袋が入っていて

その中にオレンジ色の粉が入っている。

 

この粉をガラスのコップに入れて水で溶かす。

色はオレンジ色だが

ただ甘いだけで柑橘系の爽やかさはなかった。

 

それでもお風呂屋さんから帰って来たときや

夏の夜などはこれを飲むのが楽しみだった。

 

スプーンでぐるぐるかき混ぜると

粉が回りながら溶けてゆくのを

いつもじっと眺めていたものだ。


その59 「おはなはん」

シュークリームで思い出すのはNHKの『おはなはん』である。

 

詳しく憶えているわけではないのだが、

おはなはんが木に登って座っているシーンと

”しゅーあらくれーむ” を食べるシーンだけが

鮮明に記憶に残っている。

 

シュークリームを初めて食べる”おはなはん”に男の人が

「”ふた” で中のクリームをすくって食べるのです」

と言うのである。

 

”おはなはん”も驚いていたが、かいちゃんも驚いた。

 

ドラマのシュークリームは頭の部分が切れていて、

”ふた” と ”み” に分かれているのである。

 

ヒロタのシュークリームは切り目などなく

ぷちっと小さな穴が開いているだけだった。

 

不用意にかぶりつくと この穴からクリームが飛び出して

手がべちゃべちゃになる。

 

そういえば 先にクリームをちゅうちゅう吸い出して

最後に皮を食べていたことを、

たった今 思い出した。



calendar

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< April 2017 >>

selected entries

categories

archives

profile

お問い合わせ

search this site.

others

mobile

qrcode

manage