その77 「島まつり」

淡路島では8月の1、2、3日に『島まつり』があった。

 

海峡の向こうは徳島なので踊りは やはり『阿波踊り』である。

「本町(ほんちょう)」という商店街の丁目や会社ごとに

そろいの浴衣を着た”連” が夕方から踊り歩く。

 

3日の夜には海の上に花火が上がる。

これは かいちゃんの絵日記の定番の題材であった。

 

花火が暗い夜空に上がるからといって

画用紙を黒く塗ってしまってはいけないことを

かいちゃんは ”お正月の絵” の失敗で学習していた。

 

花火を描く方法はいくつかある。

 

花火のせいで空が明るくなっていることにして

白い画用紙の真ん中に花火を描いて周りを黒く塗る。

 

いろんな色をぐしゃぐしゃ塗った上に黒いクレヨンを塗り、

割りばしの先で引っ掻いて下の色を見せる。

 

黒画用紙に ちょきちょき切った色紙を貼り付ける。

 

なぜ『阿波踊り』を描かなかったかというと

人をたくさん描くのが面倒だったからである。


その76 「ネコ分け」

天衣無縫の”やえちゃん” は母の一番下の妹だが

幼い頃に母親が亡くなったために

兄弟姉妹に育てられたようなものらしい。

 

歌うことが好きで観光バスのガイドさんになり、

お給料をためらうことなくお洒落や遊びに使い、

映画や喫茶店に連れて行ってくれたりした。

 

やえちゃんには変なクセがあって、

食べ物を必ず 最後に少しだけ残す。

 

お茶碗の底には必ずご飯が残っているし

トーストもふたくち分くらいお皿に置いてある。

 

かき氷はぜいたくに

”いちごに練乳をかけたやつ” と注文するくせに

最後まで食べないので 赤と白のマーブル模様の水が

容れものの中にちゃぷちゃぷ残っている。

 

姉や兄たちから「あんたはいつも『ネコ分け』をする」

と叱られて慌てて食べるのだが

まったく気にせず同じことをくり返すところを

かいちゃんは ひそかに尊敬していた。


その75 「かき氷」

叔父の寿司屋のある通りの角に ”食堂” があった。

 

うどんと丼物の小さな店だが2方向にガラス戸があり

明るくて広い感じがする。

夏になると『かき氷』の器械が店先に据えられた。

 

かき氷器は青い鉄のかたまりで

片側に大きな丸いハンドルが縦に付いている。

 

パーマネントをかけたおばさんが箱の中から

大きくて四角い透明な氷を取り出して

器械の中ほどの丸いテーブルのようなところに どんと置く。

 

とげとげのフタのようなものを下ろして氷を固定し、

ハンドルを回すと しゃーしゃーしゃーと

雪のような氷が削られて出てくる。

 

店の中で食べるかき氷は

小さな金魚鉢のようなガラスの容れ物に入れてくれる。

透明で周りがフリルのようにひらひらしていて

いちばん外側にだけ赤とか緑の線が入っているやつだ。

 

それを横目で見ながら

ホーローのボウルを持たされた かいちゃんは

赤い”みつ” をかけてもらった山盛りのかき氷を

溶けないうちに叔父の家まで持って帰るのだった。


その74 「貸本屋」

叔父の寿司屋は繁華街のはずれにあって、

店のすぐ裏の長屋のひとつを住居にしていた。

 

寺町という お寺がたくさん集まった地域で、

ぱらぱらとある商店のひとつに「貸本屋さん」があった。

 

”やえちゃん”という若い叔母が

最初にこの貸本屋さんに連れて行ってくれて、

数冊のまんがの本を借りてくれた。

 

やえちゃんは”まんが好き”で

「のろいの〇〇」とかいうのが特に好きであった。

 

貸本屋さんの本はあまりきれいではなく

表紙も中身もべろべろしていてちょっと嫌だったが、

読み始めると続きが読みたくなって

やえちゃんからお金を貰って借りに行くようになった。

 

やえちゃんは親きょうだいから

「いい年して”まんが”なんか読んで」と言われていたので

かいちゃんを隠れ蓑にしていたのかもしれない。


その73 「ひさご」

母のすぐ下の弟は淡路島でお寿司屋さんをやっていた。

 

店の名前は『ひさご』と言い、

のれんに 瓢箪(ひょうたん)の絵が描いてあった。

 

店はカウンターと小上がりがあって

叔父がひとりで切り盛りしていた。

奥の部屋では叔母が寿司飯を作っていた。

 

直径1メートルもあるような飯切(はんぎり)に

白いつやつやのご飯がいっぱい入っていて

合わせた酢をしゃもじで振りかけ、ご飯を切るように混ぜる。

 

裏の戸を開けたとたんに酢の匂いがあふれ出し、

店の中に入ると息が苦しいほどであった。

 

大阪に帰る前の日は

特別にカウンターでお寿司を握ってもらった。

 

”寿司飯”のことを”しゃり” とか、

”しょうが”のことを”がり” とか、

”ひょうたん”のことを ”ひさご” とか言うのは

おとなっぽくて素敵だと かいちゃんは満足していた。


その72 「風呂桶」

祖父母の家ではお手伝いなど全くしなかったから

お風呂がどうやって沸かされていたのか分からない。

 

たぶん祖父が井戸水を汲んで

祖母が薪を燃やしてくれていたのだろう。

子供とはいえ怠け者の かいちゃんであった。

 

風呂桶は木で出来ていて丸くて深い円筒形だった。

納屋の横にあって2方が板で囲ってあるだけだから

人が訪ねて来ると 入っているのが丸見えである。

 

洗い場というほどのものは無くて

板が二枚並べてあるだけだったように思う。

 

あまり憶えていないのは 夏だったから

ほとんど水浴びで済ましていたのかもしれない。

 

納屋から伸びた軒が屋根替わりだったので

雨が降ると体に当たってぴちゃぴちゃ冷たかったことと、

陽に焼けた皮膚にお湯がひどく熱く感じられて

早々に湯から飛び出したことは憶えている。


その71 「厠(かわや)」

祖父母は海沿いの古い百姓家を借りて住んでいた。

 

玄関は無くて引き戸を開けるとすぐ土間で、

土間から50センチほどの高さに

板張りの台所と畳敷きの部屋があった。

 

部屋と部屋の境は障子を立てられるようになっていたが

夏は風通しが良いように全部 取っ払っていたので、

柱の位置だけが部屋の区切りを示していた。

 

お便所のことを祖父は『厠』と言っていたが、

お風呂と共に当然のように家の外にあって、

「トイレ」でもなく「便所」でもなく

まさに『厠』という語感がぴったりであった。

 

田舎ではあるが家の前に島を巡る道路が通っていたので

夜も街灯や月明りで明るく、

あまり怖いと思ったことはない。

 

ただ厠の中にはコオロギに似た虫がいて、

ぴょんと飛びついてきたりするのが うっとおしかった。



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