その71 「厠(かわや)」
祖父母は海沿いの古い百姓家を借りて住んでいた。
玄関は無くて引き戸を開けるとすぐ土間で、
土間から50センチほどの高さに
板張りの台所と畳敷きの部屋があった。
部屋と部屋の境は障子を立てられるようになっていたが
夏は風通しが良いように全部 取っ払っていたので、
柱の位置だけが部屋の区切りを示していた。
お便所のことを祖父は『厠』と言っていたが、
お風呂と共に当然のように家の外にあって、
「トイレ」でもなく「便所」でもなく
まさに『厠』という語感がぴったりであった。
田舎ではあるが家の前に島を巡る道路が通っていたので
夜も街灯や月明りで明るく、
あまり怖いと思ったことはない。
ただ厠の中にはコオロギに似た虫がいて、
ぴょんと飛びついてきたりするのが うっとおしかった。