2013.1.4 最期に「ありがとう」
大晦日に神戸の夫の実家に息子や孫たちが集まった。
日頃は寝たきりの父と介護する母の二人だけの家が賑やかになる。
言葉は出ないものの皆の顔を見てうなづく父。
かろうじて食事は補助テーブルを使って端座位で取れる。
紅白歌合戦が始まる頃、父の様子がおかしくなった。
呼びかけても反応がなく苦しそうに肩で息をしている。
「救急車を呼びますか?それとも家で看取りますか?」
”家で死にたい”と言っていた父の意志を汲んで
「最後まで家で」と家族全員が決意した。酸素吸入と点滴をしてもらい、交替で痰の吸引をした。
正月なのに看護師さんが朝夕来て点滴や吸引をしてくれた。
1月4日の昼11時頃から呼吸が途切れだした。
「がんばって!」と繰り返す母に
「楽しかった思い出を話してあげてください」と助言した。
結婚したときのことは?
「お見合いだったね。結婚式まで3回しか会わんかったね」
新婚旅行は?
「熱海に行ってお土産に”こけし”を買おうとしたら『そんなもの要らないやろ』って。
でもどうしても欲しかったから買って、今も置いてあるのよ」
子供が生まれたときは?
「仕事が忙しくて家にいないことが多かったけど、とても喜んだね」
旅行にもよく行きましたね?
「いろんなとこに行ったけど、カナダが一番よかったって言ってたね。
沖縄にも何度も行ったし、毎年かかさず家族全員で旅行したよね」
家でゆっくりするのも好きでしたね?
「『お正月を家でするのもいいんやないか?』と言ってたけど今年は思うとおりになったね」
ずっと父の耳元で思い出を語っていた母の口から
「今まで本当にありがとう。楽しいことばっかりやったね。
子供も孫も賢くて優しい子ばっかりやから、あとは何にも心配いらんよ」横にいた40歳過ぎの弟も
「三熊山に登ったとき”疲れた”って言うたらおんぶしてくれたの憶えてるで」
閉じていた父の目が開き、皆の顔をゆっくりと見回しだした。
前夜に横浜に帰っていた長男である夫を携帯で呼び出し、父の耳にあてた。
「おやじ、聞こえるか?孝蔵やで。ありがとうな」
そのあと2回深く息をして、父は呼吸を止めた。
12時18分。
夫の携帯電話には12時16分の通話記録が残っている。