その72 「風呂桶」

祖父母の家ではお手伝いなど全くしなかったから

お風呂がどうやって沸かされていたのか分からない。

 

たぶん祖父が井戸水を汲んで

祖母が薪を燃やしてくれていたのだろう。

子供とはいえ怠け者の かいちゃんであった。

 

風呂桶は木で出来ていて丸くて深い円筒形だった。

納屋の横にあって2方が板で囲ってあるだけだから

人が訪ねて来ると 入っているのが丸見えである。

 

洗い場というほどのものは無くて

板が二枚並べてあるだけだったように思う。

 

あまり憶えていないのは 夏だったから

ほとんど水浴びで済ましていたのかもしれない。

 

納屋から伸びた軒が屋根替わりだったので

雨が降ると体に当たってぴちゃぴちゃ冷たかったことと、

陽に焼けた皮膚にお湯がひどく熱く感じられて

早々に湯から飛び出したことは憶えている。


その71 「厠(かわや)」

祖父母は海沿いの古い百姓家を借りて住んでいた。

 

玄関は無くて引き戸を開けるとすぐ土間で、

土間から50センチほどの高さに

板張りの台所と畳敷きの部屋があった。

 

部屋と部屋の境は障子を立てられるようになっていたが

夏は風通しが良いように全部 取っ払っていたので、

柱の位置だけが部屋の区切りを示していた。

 

お便所のことを祖父は『厠』と言っていたが、

お風呂と共に当然のように家の外にあって、

「トイレ」でもなく「便所」でもなく

まさに『厠』という語感がぴったりであった。

 

田舎ではあるが家の前に島を巡る道路が通っていたので

夜も街灯や月明りで明るく、

あまり怖いと思ったことはない。

 

ただ厠の中にはコオロギに似た虫がいて、

ぴょんと飛びついてきたりするのが うっとおしかった。


その70 「蚊帳」

祖父の家は天井が無くて

寝ころぶと屋根の丸太や梁が見えた。

 

ちょっとくらいの雨なら入ってこない構造の天窓は

ヒモを引くと閉まるようになっていたが、

かいちゃんが行くのは夏なのでいつも開いていた。

 

障子のはまった窓にも網戸などなかったので、

ほとんど一日中、蚊取り線香を焚いていて、

夜には大きな蚊帳を吊った。

 

祖父母とかいちゃんと いとこ二人と、

5人が入っても狭苦しくない大きな蚊帳だった。

 

蚊帳は日向(ひなた)のような埃っぽい匂いで、

そこに蚊取り線香の匂いが混ざるので

けっこう息苦しい。

 

梁からぶら下がった電灯が蚊帳の影を布団の上に落とし、

蚊帳が揺れると影も大きく揺れて、

行ったことはないが海の底にいるような気分だと

いつもそう思いながら眠った。


その69 「テングサ」

浜には貝がらや木切れに混じって

海藻もいろいろ打ち上げられていた。

 

かいちゃんが浮き輪でちゃぷちゃぷ漂っていると

祖母が浜辺で赤茶色の海藻を拾っていた。

 

赤茶色と言ってもべろべろしたのやら

くしゃくしゃしたのやら 微妙に違っていて、

祖母が集めているのは細かく ちりちりした

『テングサ』という海藻であった。

 

探して持って行くと たいてい

「これは違う」「これも違う」と言われるので

かいちゃんは 波打ち際でちゃぷちゃぷするほうに戻った。

 

翌日、祖母が美味しいトコロテンを作ってくれて

「これがあのテングサだ」と聞いた時には驚いた。

あんな赤茶色のものが透明なトコロテンの素だとは!

 

それ以来、浜辺に行くとテングサを探したが

やはり「これは違う」と言われ続けた。


その68 「ツメタガイ」

祖父の家の前の浜は海水浴場でもなんでもなく、

小石や貝がらがコロコロ転がっている狭い砂浜だった。

 

かいちゃんは毎年、貝がらを熱心に拾った。

夏休みの宿題にするのである。

 

お菓子の箱に脱脂綿を敷いて貝がらを並べ、

百科事典で調べた名前を紙に書いて横に貼る。

これで貝がら標本の出来上がりである。

 

名前を調べるのがちょっと面倒だが、

浜に打ち上げられている貝がらは

ほとんどが『ツメタガイ』という貝であった。

 

『ツメタガイ』は名前の通り冷たい貝がらである。

12個ほどの標本の半分は ツメタガイで

あとは『いそもん(ニナ貝)』とか桜貝だった。

 

全く手抜きな標本であるが、小学校高学年になって

それすら面倒になった かいちゃんは

外箱と名前の紙だけを取り換えて提出していた。


その67 「井戸水」

淡路島の祖父の家は海岸沿いの道に面し、

低い堤防の向こうはすぐ海だった。

 

水着を着たまま道路を横切って海に浸かり、

海から上がると砂浜を歩いてまた道路を渡り、

家の前にある井戸で頭から水をかぶる。

 

井戸にはポンプが付いていて、

長い金属の棒を上下にガコガコと動かすと

太い蛇口から冷たい水がじゃぶじゃぶ出た。

 

蛇口のところには白いガーゼの布がかぶせてあって、

これはゴミや小石を取り除くためである。

 

井戸のまわりにはしょっちゅう小さなカニが出没していて、

たいていは向こうの方が逃げるのだが

うっかりすると挟まれるので要注意だった。

 

井戸水は冷たくて美味しかったが、

どう考えても不思議だったのは

「こんなに海が近いのに井戸水は塩からくない」

ということであった。


その66 「真夏のサンタ」

母方の祖父母は淡路島の海沿いの村に住んでいた。

 

天井板が無く屋根の丸太が直に見える古民家で、

隣に牛小屋だったのではないかと思う広い物置があって

湿気たような肥料のような埃っぽい匂いがした。

 

この物置にサンタクロースの人形が山積みになっていた。

いつも仏壇にお経をあげている祖母が

なぜこんなものを持っているのか不審であった。

 

祖母にたずねると「サンタだあ」と言う。

島の言葉は語尾に「だあ」と付くのである。

 

サンタの胴体は赤い色に塗られていて

腰の部分に金色のモールを貼り付けるのが

祖母の内職なのであった。

 

祖父母の家に行くのは”夏”と決まっていたから、

クリスマスに間に合わせれば良かったのだろう。

 

季節はずれの、しかもこんな田舎の物置で

サンタクロースは製造されているのかと、

かいちゃんは不思議な気持ちになった。



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